広島から59年

毎年午前8時から広島平和公園から平和祈念式の中継がある。あまり雨が降っていた記憶はない。平和の願う気持ちを、この日だけでも確認したい。
私が生まれたのは下関市彦島、原爆にはまったく縁がなかったかと言うとそうでもない。戦後明らかになったのだが、9日に長崎に落とされた原爆は、実は小倉周辺、北九州の製鐵所をターゲットにしたものだと言われた。彦島から関門海峡の彼岸、北九州まではほんの数キロしかなく、もし当初の通り北九州に原爆が落とされていたら風向きにもよるが被爆の可能性は十分にあった。小倉上空の厚い雲が北九州から長崎へと大惨事を押しやってしまった。
私の兄弟は男三人で、長兄は21年生まれ、次兄は24年、私が26年生まれだ。まさに戦争を知らない子供たち第1号だ。成長とともに、戦争を知り、原爆を知る。経験してない知識は本当の惨さが分からない。それは致し方ないとしても、今、平和であることに心から感謝し、これからもずっと平和であることへの強い希望と、戦争に向かおうとするすべての動きを止める努力をしていきたい。
原爆投下も、9.11のテロもどこが違うと言うのだろうか。イラクでの大義なき戦争、無辜の市民を大量殺戮する戦争に正義があるわけがない。戦争は問題解決手段ではなくて相手を黙らせるだけの手段だ。報復の連鎖が始まるだけだ。