故郷、焼ける

toshiaki_yamai2006-01-07



 7日午前2時6分、山口県下関市のJR下関駅で出火していると119番通報があった。木造駅舎など約3000平方メートルが焼け、約3時間後に鎮火した。
 JR西日本によると、火災の影響で同駅に停車予定だった寝台特急なは・あかつき」が厚狭駅で、寝台特急はやぶさ・富士」が徳山駅で運転を取りやめた。山陽線の小月―門司間、山陰線の長門市―下関間で始発から運転を見合わせる。復旧のめどはたっていないという。
 下関駅は本州最西端の駅で1901年開業。1942年から現在の駅舎になった。付近には百貨店や大型商業施設があり、市の中心部。(以上asahi.comより引用)

 下関駅には思い出がたくさんある。3000平方メートルといえば約900坪だ。思い出の半分は燃えてしまったことになる。18歳、地元の高校を卒業し、大学入学のために上京するのだが、上京はブルートレインが多かった。ブルートレインは、今でこそ廃止の憂き目に会っているが、当時は人気で、前夜から徹夜しなければ切符が手に入らなかった。みどりの窓口によく寝泊りしたものだ。
 今は飛行機での帰郷が多いが、駅に会いたくて帰省のたびに立ち寄ることにしている。駅で食べるうどんは最高で、近年はふくてんぷらうどんを食べるのを楽しみにしていた。
 昨日、東京では出初式だった。消防隊員がすべて出払っていたわけではないだろうが、よく燃やしたものだ。老朽化した駅舎、さぞ派手に燃えたのだろう。今のところ被害者は報道されていないが、夜中でも自由に出入りできる自由通路は、ホームレスには寒さを凌ぐ絶好のねぐらで、今後被害者が出ないことを祈る。
 JR西日本、管理が甘い。運行管理、施設管理、もっとしっかりやらなければ。
 下関駅は、新幹線新下関の発展と裏腹に寂れていた。人は、旧市街を通過して博多に足を運び、歴史の町下関はますます寂れてきている。下関を故郷とするわれわれにも寂しい限りだ。JR西日本も投資を躊躇する駅だったのかもしれない。
 春には帰省する予定だが、それまでに駅も生まれ変わっていてもらいたい。
※画像は、blog「日子のさらさら日記」より拝借